自分を助けてくれる人は誰でしょうか?
日頃の行ないが良ければ困った時、誰かが手を差し伸べてくれるかもしれません。
しかし見上げても光の見えない、深い井戸に落ちてしまった時、誰かの手が届くことはありません。
深く傷ついてしまった時、自分を助けてあげられるのは自分しかいないと思います。
自分を助けるために、ごまかさずに自分を知っておくことはとても大切なことだと思っています。
こころのせかい めいしは名刺をつくることによって、自分を知るためのワークショップです。
こころのワークショップ。
自分を助けてくれる人は誰でしょうか?
日頃の行ないが良ければ困った時、誰かが手を差し伸べてくれるかもしれません。
しかし見上げても光の見えない、深い井戸に落ちてしまった時、誰かの手が届くことはありません。
深く傷ついてしまった時、自分を助けてあげられるのは自分しかいないと思います。
自分を助けるために、ごまかさずに自分を知っておくことはとても大切なことだと思っています。
こころのせかい めいしは名刺をつくることによって、自分を知るためのワークショップです。
こころのワークショップ。
疑うことは決して悪いことではないと思います。
疑いは新たな発見につながるからです。
でもそれを人に向けてしまうと、名探偵でもないかぎり、幸せから遠ざかるかもしれません。
ワークショップ「こころのせかい名刺」ではとことん自分を疑っていただきます。
それは疑った後に滲み出てくる、まだ見ぬ自分の発見につながります。
こころのワークショップ。
「ワークショップ:こころのせかい名刺」では、
名刺を制作する過程で、ものに魂が宿る瞬間が訪れます。
ワークショップでは魂を自分の檻に閉じ込めてしまわずに、外に出すお手伝いをいたします。
ふわっと意味や目的から逃れ、自由をたのしんでみませんか?
あなたを邪魔するものは何もありません。
魂を散歩させるワークショップ。
ティラミスのワークショップに新しいなかまが増えました。
絵本制作を通して自分の心と話すワークショップです。詳しくはリンク先からご覧になれます。
ティラミスのワークショップは、どれも心に触れるものになっています。
自分の心と向き合うこと、心の声を聞くことは生きていく上でとても大事なことだと思います。
心をおいてきぼりにして走らずに、こころと相談してゆっくり進みましょう。
こころと話すワークショップ。
「まだ稼げるようなことではないので、仕事というには、、」
ワークショップに来た方が話してくださいました。
自分のしたことが、何かの役に立つ。それは十分に仕事だと思います。
稼げる稼げないにかかわらず、好きな仕事ができるのは、とても幸せなことです。生きている間にできるだけ、そういった仕事に関われることが、人生の醍醐味だと思います。
子どもの頃、迷ってたおばあちゃんを道案内してもらった100円。「いい仕事したなあ」と、いまだにおぼえています。
好きをみつけるワークショップ。
いくらうまく取り繕っても、自分だけはごまかせません。
もし小手先が通じても、その先に待っているのは袋小路です。
ティラミスのワークショップでは「きほんの名刺」をつくっていただきます。
きほんはごまかしがききません。そのままの自分が浮き出てきます。
しかし浮き出てきた自分を知ることは、新しい自分と出会うことです。
あたらしい出会いは、外にだけではなく、自分の内側にもあると思うのです。
自分を探すワークショップ。
あなたの個性はあなたの中にあります。
個性はつくるものではなく、
自分の中から自然と湧いてきます。
それは近すぎて自分では見えにくいかもしれません。
「もう誰かになるのはやめよう」
そう思ったらティラミスのワークショップに来てほしいと思います。
宝物を探すワークショップ。
ティラミスのワークショップ「こころのせかいめいし」は、自分の手で名刺をつくることによって、紙に魂が宿る瞬間を体験してもらうことが目的です。
悩んでいた肩書きを見つけたり、迷っていたけれど「これでいいんだ」と思えたり、自分の中にある宝物を発見して帰っていただけると、とてもうれしくなります。
どんなに良い服で着飾っても中身がなければそれはただの布なように、紙に魂が宿った時に、はじめて名刺はあなたの分身になります。
どうぞ気楽にたましい宿らせに来てください。
宝物を探すワークショップ。
目標に向かってぶれずに生きるという事が、良いとされています。逆にあっちへこっちへとふらふらしていると、よくないイメージを抱かれてしまいます。
本当にそうでしょうか。
当たり前ですが、死んでしまうと体が動くことはありません。
動かずに安定したものが「死」だとしたら、動いて不安定なのが「生」と言えます。
ぶれずに生きるということは「死」へと舵を取っていることではないでしょうか。
ティラミスのワークショップではおもいきり迷ってもらいたいと思います。ぶれていることは生きている証なのですから。
迷うためのワークショップ。
元号が平成から令和になりました。呼び方が変わっただけで、何か新しいはじまりを感じることができるのは、人間のもつ素晴らしさなのだと思います。
事務所で飼っている金魚を見ていると、平成から令和になったところで、何の変化もないように思えます。
でも私たちはちがいます。新しい風が吹き、何か起きるという期待を持ち、それが春の訪れと共に背中を押してくれることでしょう。
いくら追い風が吹いていても、一歩をふみださなければ、そこに立ち止まったままになってしまいます。ティラミスのワークショップであなたの一歩をふみだしてみませんか。
一歩ふみだすためのワークショップ。
↑↑↑