スマートフォンを落として液晶画面を割ってしまった。
そのひび割れはとてもきれいな線を描いている。
自分で落としたにもかかわらず、その線にはまったく自我が入っていない。
割れてしまってはいるがスマートフォンとしての機能は問題なく果たしている。
機能をデザインが少しだけこえる時、それはすごくおもしろいものになる。
そういうデザインを見るとすごく幸せな気分になるし、自分もそういうものを作りたいと思う。
自由帳という名の学習帳
スマートフォンを落として液晶画面を割ってしまった。
そのひび割れはとてもきれいな線を描いている。
自分で落としたにもかかわらず、その線にはまったく自我が入っていない。
割れてしまってはいるがスマートフォンとしての機能は問題なく果たしている。
機能をデザインが少しだけこえる時、それはすごくおもしろいものになる。
そういうデザインを見るとすごく幸せな気分になるし、自分もそういうものを作りたいと思う。
今年もあと残り少なくなってきたので、「これから」のことをいろいろと考えています。
はたらきかた。
デザインのこと。
これからのつくりかた。
分かれ道の真ん中でどっちに行こうか考えてるような、落とした斧は何色か聞かれているような気持ちでいろいろ考えてみました。
「寝る間も惜しんで仕事して、お客様のニーズに応えすぎてお安く、そこそこのクオリティのものをタイトな時間でつくる」
と、いうことには未来を感じないな〜と思いました。
もちろん、それが得意な人もいるし、必要としている人はいると思います。
わたしたちの場合、そっちに行ってしまうと目指してるところにたどり着けない気がしました。
豊かな土壌で美味しい野菜が育つように、こころが豊かでいることで、いいデザインや、いいアイデアが浮かんでくるものです。
余裕がないと、ギズギスしてイライラした気持ちになってしまいがちです。
これから「事業を発展させていこう!」と、キラキラ輝いてるお客さまの大事なツールをそんな気持ちでデザインするのは、なんだか矛盾しているし、お客さまに失礼です。
いいコミュニケーションをして、未来が広がっていくようなデザインをお客さまにお渡ししたいです。
なぜだか伝わってしまう目に見えない部分を大切にして、わたしたち自身をアップデートをしながら、「これから」をつくっていきたいなと思っています。
そのために、お客さまのデザインだけじゃなくって、発表したり発信したりする機会を定期的に持つことも続けていきたいと思っています。クリエイティブに磨きをかけます。
と、いうことで来週10/19から「あつぎロードギャラリー」で、個展をします。
個展公式サイトをつくりました。こちらも楽しんでいただけると嬉しいです。
世界のあつお展〜公式と非公式のあいだ〜
なぜ私たちは漫画を理解できるのでしょうか?
こちらを見てください。
なんとなく何がおこっているのか理解できませんか?
これは私たちが吹き出しやコマ割り、集中線にどんな意味があるかという漫画の記号をわかっているからです。
私たちはひらがなを理解することができます、それは国語の授業で習ったからです。では漫画の記号はどこで誰にならったのでしょうか?
漫画の読解力はどこでならったわけでもなく、漫画を読むことによって自然と身についているわけです。これはわざわざ勉強せずともグラフィックの文法を身につけていると言い換えてもよいでしょう。
「漫画ばっかり読んでないで勉強しなさい!」という表現はいささか古いものだよな、と。漫画はグラフィック的には宝の山で、それを感覚的に身につけることのできる素晴らしいものなのですから。
8月がはじまりました、暑い中いかがおすごしでしょうか?
コーヒーカップに「甘い」と書いてあったら、私たちはそのコーヒーを甘いものとして扱います。
それはつまりグラフィックが味覚にまで影響を与えることができるということです。
そして素晴らしいことにヴィジュアル化することによって「へいわ味の紅茶」という本来なら存在しなかったはずの物もつくれてしまうのです。
それってすごいことだと思いませんか?
BjörkのVR(バーチャル・リアリティ)作品が日本で見られるとのことで、最終日に行ってきました。
3作品を見ることができたのですが、中でも最後の「Not Get VR」がすごかったです。
曲が進むにつれ、子どもほどの大きさのBjorkのようなものが徐々に大きくなっていくのですが、それは明らかに映し出されたものだと分かっているのに「さわってみたい」と思ってしまうようなものでした。映し出されたデータに実態があるわけないのになぜあんなにも「触れてみたい」と思ったのか、すごく不思議な感覚を体験しました。
Björk Digital ―音楽のVR・18日間の実験
http://www.miraikan.jst.go.jp/exhibition/bjorkdigital.html
Björk Digital: ‘Notget’ VRX
http://rewind.co/portfolio/bjo%CC%88rk_digital_vrx/
お蕎麦屋さんで頼んだお酒のグラスが金継ぎされていました。
直して使おうという思いやり、割れたマイナス部分に新たに加えられた美しさ、すべてがよい感じにデザインされている。
ティラミスでやりたいのってこういうことなんだよなぁ。
大事に使ってもらえるものをつくりたい、心を込めて。
そうだ、これから何かをしよう!
そう思った時に迷うことは、よくあること。
わたしも、経験がありますが、
今まで何か、今までと違うことをしよう!と思うと悩む。
自分のプロフィールやキャッチコピーに悩む。
悩んでいるうちに、今、お申し込みしているお客さま優先になるから、自分のことが後回しになったりもする。
(実は、これは本末転倒。ちゃんとサービスの内容などがお客さまに伝わらず、不親切なことになってしまうので。)
ぼんやりと感覚では「こういう感じ」というのがあっても、具体的に言葉に落とし込んでいく作業で煮詰まることはよくあることです。
「じゃ、誰かに聞いてみよう」とか、「どこかに勉強しにいってみよう」と思う時もあるけれど
そうすると、余計に迷ってしまうこともあります。
本当に大事なのは、自分の中に答えを出すこと。
客観的な意見は時には大事だけれど、答えを出すのも、決めるのも、自分自身。
誰かの中に答えはないんです。
『お前の核は、なんだ?お前の中にある譲れないものは何だって聞いてんだよ!』と、怪盗山猫も毎週言ってるぐらい、大切です。
何かしようと思って悩むのは、結局のところ心の安心領域が、今までと違ったところへ行こうとするのを「やめて、行かないで」って止めてるからのことが多い気がするのです。
自分で自分の足を踏みながら前に進もうとしている感じになっちゃってる。
せっかく一歩出たと思ったら、無理やり片足で立って「グラグラするから進めない〜!」と頑張ってる人になっていたりしている場合もあります。
答えが出せない場合には、本当に大切な人に意見してもらうのではなくて、背中を蹴っ飛ばしてもらうことだと思のです。
言葉にできると、ドキドキするけど、とってもスッキリします。
そして、そのまま一歩、二歩進んじゃうと、ころころと進んでいけるものです。
頭で考えているよりも早く現実が変わっていくこともあります。そうすると、あー、こっちに進んでよかったって安心できる。
だから、「そのまんまでいいんだ、いけー!」と、背中蹴っ飛ばしてくれる、安心して背中を任せられる?人が、いることは、幸せなことだなと思います。
今日もおかげさまです。ありがとうございます。
年があけました。
年があけると、今年の抱負を考える人が多いのではないでしょうか。
「今年は、ホニャララをちゃんとしよう」と、心に決めてみたりとか。
「ちゃんとする」というのは曖昧で、人によって「ちゃんとするの定義」が違うものです。
例えば、「うちは仕事ちゃんとやってるよ」と、思っていても、他の誰かからみたら「ちゃんとしてない」と、いうこともあり得るし、その反対に、自分で思っているよりも周りからみたら「ちゃんとしてる」ということもあります。
そんなこんなで近頃、気づいたことがあります。
同じ行動をしていても、「ちゃんとしてる」を受け取ってもらえる場合と、受け取ってもらえない場合があるようです。
見えないところのこころづかいや、思いやりを受け取ってくれる人もいれば、それを全く感じない人もいます。
わたしは「ちゃんとしよう、ちゃんとしよう」と思っているうちに、本当はちゃんと大事に持っていたかったものを、どこかに忘れたくありません。
「ちゃんとする」を他人に合わせてしまう時、結局のところ自分の中で「ちゃんとしたかったこと」が、ちゃんとできなくなってしまうからです。
お仕事も、寄りかからず、吸い取りすぎず、与えあって、受け取り合うみたいな感じがいいな。
お客さまとは、デザインをつくるプロジェクトチームのようなイメージで制作できたら幸せです。
そういうことを、ちゃんとやりたいなと思います。シンプルに。
「最近の若者はすぐ仕事をやめる」という話、よく耳にします。
実際は、学校卒業後の離職率は1980年代後半からほぼ変わらないそうです。《*》
景気の良い時に採用された人は離職率が低いそうです。どうしてかと言うと条件のよい時に入った人は「辞めるのはもったいない」と離職しないので、その年代の離職率は下がるということです。
そもそも年齢を重ねれば離職率が低くなるのは当然で、それを盾に「最近の若者はすぐ、、」というのはちょっと「大人げない」ですよね。
若者による事件があると「最近の若者は、、」と言われますが、大人が事件をおこしても「最近の大人は、、」と言われることはありません。
もしティラミスがお客さまに「最近の若者はすぐ仕事をやめる」というのを違ったアプローチで言いたいと依頼されたら「若者は年長者よりはすぐ仕事をやめてしまう。なぜなら人生経験も少なく、いろいろなことにチャレンジできる可能性に満ちているからだ」という風になります。
こんにちは。
パクリ騒動がおこるたびに「パクリってなんだろうな?」と考えたりします。
これは坂本龍一さんの名盤「B-2 Unit」のジャケットです。ジャケットデザインは井上嗣也さん。
これはEl Lissitzkyの「Pro dva kvadrata」という作品です。
次は小沢健二さんのラブリー。イントロを聞いてみてください。
次にBetty WrightのClean Up Woman。イントロを聞いてみてください。
さらにSAM and DAVEのSoul Man。イントロを聞いてみてください。
水木しげる先生の妖怪たちにも元ネタはたくさんあります。あら、鬼太郎が、、。先生の元ネタはこちらのサイトにまとめられています。【水木しげる絵の元ネタ】
パクリと言われていつも考えるのはものまねの存在、ものまねをしている人を「あれは本人のパクリだ」と言う人はいません。しかし声質をパクっていると言われたらどうなるのでしょうか。
いとうせいこうさんが何かで、和歌の技法に本歌取というのがあって「日本では伝統的に著作権を捨ててお互いにいいとこ取りをし合うということをやってきた、若い人は著作権が当たり前だと思ってはいけない。」とおっしゃってました。
「著作権がないと発明する人たちのやる気がなくなってしまう」という意見もあります。一方で食事のレシピやファッション、フォントなどは法律で縛られずに発展してきました。著作権とパクリも近い所をうろうろしている気がします。
また、敬意のない模倣がパクリと言われている気がしますが、敬意とはいったい何なのかと考えるとよく分からなくなってきます。
もしスタートレックのような時代がきて、お金に困らない生活を皆ができるとしたら、著作権やパクリのあり方は、また違ってくるのではないかと思います。
改訂版 著作権とは何か 文化と創造のゆくえ (集英社新書)
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