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A NEW AMERICAN PICTURE

ホンマタカシさんの著書「たのしい写真3」で知った、Doug Rickardさんの「A New American Picture」という写真集。

アメリカのストリートシーンを写したものなのですが、なんと写真はすべてGoogleのストリートビューを再撮影したものなのです。

再撮影したものをさらに撮影してみました。
再撮影したものをさらに撮影してみました。

アマゾンのレビューを見ると「Photography or editing?(写真なのか編集なのか?)」と書いてる人がいましたが、私はどちらかというとDJみたいなものなのではないかと思います。

この写真集に「写真か編集か?」と問うのは、DJに「あんたはミュージシャンかどうか?」とたずねるのに似ている気がします。DJがまだ一般的でなかった頃、「人のレコードかけてミュージシャンってなんだそれ?」という意見がたくさんあったと記憶しています。

それにしても部屋から一歩も出ずにアメリカを写し出す、クールです。しかしお母さんには「あんた部屋にこもってないで外で遊びなさい!」と怒られてしまうことでしょう。

割れた液晶。

スマートフォンを落として液晶画面を割ってしまった。
そのひび割れはとてもきれいな線を描いている。

自分で落としたにもかかわらず、その線にはまったく自我が入っていない。
割れてしまってはいるがスマートフォンとしての機能は問題なく果たしている。

機能をデザインが少しだけこえる時、それはすごくおもしろいものになる。
そういうデザインを見るとすごく幸せな気分になるし、自分もそういうものを作りたいと思う。

なぜ漫画を理解できるのか?

なぜ私たちは漫画を理解できるのでしょうか?

こちらを見てください。
 
manga
なんとなく何がおこっているのか理解できませんか?

これは私たちが吹き出しやコマ割り、集中線にどんな意味があるかという漫画の記号をわかっているからです。

私たちはひらがなを理解することができます、それは国語の授業で習ったからです。では漫画の記号はどこで誰にならったのでしょうか?

漫画の読解力はどこでならったわけでもなく、漫画を読むことによって自然と身についているわけです。これはわざわざ勉強せずともグラフィックの文法を身につけていると言い換えてもよいでしょう。

「漫画ばっかり読んでないで勉強しなさい!」という表現はいささか古いものだよな、と。漫画はグラフィック的には宝の山で、それを感覚的に身につけることのできる素晴らしいものなのですから。

平面の階層について

平面の階層というと難しくきこえますが、見ていただければ簡単です。
 

この画像を見てどうですか?この画像、どう見えますか?

 

03このような二つの画像がくっついてると思いましたか?

 

02それともこのように正方形に黒い図形が乗っかっていると思いましたか?

 

同じ図形をみてもこのようにちがう解釈ができます。しかし、どちらも平面を立体的に見ているということを感じていただけたと思います。

平面なのに立体?

この矛盾がグラフィックの面白いところです。平面に階層を与えることができる、時には次元まで越えてしまうのです。

紙一枚で次元を越えてしまうことができる、グラフィックの力は偉大です。

参考)デザインの手がかり

金継ぎ

お蕎麦屋さんで頼んだお酒のグラスが金継ぎされていました。

直して使おうという思いやり、割れたマイナス部分に新たに加えられた美しさ、すべてがよい感じにデザインされている。

ティラミスでやりたいのってこういうことなんだよなぁ。

大事に使ってもらえるものをつくりたい、心を込めて。

LOVELY QUOTES VIA 世界のグラフィックデザイン5 パッケージ

それにつけても、と思う。「ものを包むということは、心を包むということだ」という故安藤鶴夫氏のことばは、たとえ時代がどのように変わっても、結局、かわることのないパッケージの本質を、実に見事にいい得ている、と。パッケージに付随するさまざまな要素や条件をギリギリのところまではぎ取って、なおかつ残る最後のもの、それは再三いうように「人間自身」である。そして、人間を人間たらしめているものは、心なのだ。

via 世界のグラフィックデザイン5 パッケージ 岡秀行編 1974年 講談社

LOVELY QUOTES VIA 天野祐吉対話集

よく三千円の入場料を払ったけど、あのステージなら三千円の価値はあった、なんて言うでしょう。あの考え方が、僕は、全部をダメにしている、という気がするんですね。得だ、と言われて、動かされている時代は、やっぱり貧しい時代だと思う。

via 天野祐吉対話集 さよなら広告 さよならニッポン

対談の中で糸井重里さんがおっしゃっていた言葉です。