「日誌」カテゴリーアーカイブ

検証 /// 文字の大きさをだんだん小さくする

紙に字を書いていると、だんだんスペースがなくなってきて「あ、このままでは書き終わらない!」という経験をしたことはないでしょうか?

文字が小さく
いつもながら書いている途中で気がつくわけです。

 
これは紙とペンというアナログだからこそおこる現象で、デジタルの場合はおこりません。当たり前ですがデジタルは後から簡単にフォントサイズを変えられるので足りなかったら全体のサイズを調節すればよいからです。

でもこのように人の書いたものは整ってはいませんが、なんとも味があっていいものです。そこでふと、思ったのです。「これをデジタルでやったらどうなるんだろう?」と。

「このいそがしい時期にそんなことをやっている暇があるのかしら?」という冷たい視線を隣から感じたりもしますが、こちとらこれが楽しくてデザインをやっているので、普段よりもスペシャルなコーヒーを自主的に入れたりとまわりの機嫌をとりながらコソコソと検証してみたいと思います。

検証1
検証1

いかがでしょうか?文字の大きさは気になりませんね、けっこう良い。ユーモラスな感じもします。

しかしです、「これは文章の中身と文字の大きさがリンクしているからユーモラスな感じをうけるのではないだろうか?」という疑問がわきました。そこで文章の内容に効果とは関係ないものを用意しました。

検証2
検証2

どうでしょう?文字がだんだん小さくなってもパッと見わからないですね。このままどんどん小さくしていけばおもしろい感じになりそうです。

どこに使えるかはまだよくわかりませんが、いろいろな所で使えそうな気がしてきました。

制作のお問い合わせ

心がうごく営業メール

営業のメールをお問い合わせフォームから時々いただきます。
個人で活動されているイラストレーターだったり、デザイナーだったり、はたまた、web制作などIT系の企業や、相見積もりサイトの方だったり。

ご連絡いただいたところから、ご縁ができて一緒にお仕事する場合もあるので、営業は一切お断り!とは思いません。むしろ、welcomeな気持ちです。

いいことなら誘ってほしいし、いろんなスキルのある方と知り合うことは可能性が広がるし、ティラミスの得意なところを活かせる場所にだったらどんどん出て行きたいです。

ですが。
コピペで、同じ業種のところにひたすら送っているんだろうな〜と、わかる感じの内容の場合は違います。
数撃ちゃ当たるの1つとして、ティラミスが選ばれたと思うと、むっともするし悲しい気持ちになります。
そして、もちろんその会社へのイメージが悪くなります。

と、いうことは。
その営業活動自体が、実際の目的とは逆の効果を発揮してることになります。
どうせ労力を使うなら、もっと心が動くような内容を考えることに使った方がいいのになーと思います。

そういうメールには、「お世話になっております」と文頭に書いてあります。
はじめてメールをする、縁もゆかりもない相手に「お世話になっております」って変ですよね?
なぜだか「いつもお世話になっております」と書いてある場合もあります。
「何にもまだ、お世話してませんけど?」と、言いたい。笑
日本のビジネスメールの常識って、はじめてでも「いいお天気ですね」のノリで「お世話になっております」って言うんでしょうか?

こころを込めるって大事なことなんだと思うんです。
こころは、見えないけど感じられる。

メールの文章からでも感情が伝わってくるものです。
デザインもそうです。

コピペ営業メールに匹敵するデザインはこれ。
・なんでもいいからデザインして。
・時間ないから急いでテキトーに。
・そこそこ見栄えがいいように。

「そういうことが伝わるデザイン」になっちゃうから、効果は逆効果だと思うんですよね。
デザインはていねいにつくろう、メール1通でも気をつけて出そう、我がフリも気をつけようって思いました。

A NEW AMERICAN PICTURE

ホンマタカシさんの著書「たのしい写真3」で知った、Doug Rickardさんの「A New American Picture」という写真集。

アメリカのストリートシーンを写したものなのですが、なんと写真はすべてGoogleのストリートビューを再撮影したものなのです。

再撮影したものをさらに撮影してみました。
再撮影したものをさらに撮影してみました。

アマゾンのレビューを見ると「Photography or editing?(写真なのか編集なのか?)」と書いてる人がいましたが、私はどちらかというとDJみたいなものなのではないかと思います。

この写真集に「写真か編集か?」と問うのは、DJに「あんたはミュージシャンかどうか?」とたずねるのに似ている気がします。DJがまだ一般的でなかった頃、「人のレコードかけてミュージシャンってなんだそれ?」という意見がたくさんあったと記憶しています。

それにしても部屋から一歩も出ずにアメリカを写し出す、クールです。しかしお母さんには「あんた部屋にこもってないで外で遊びなさい!」と怒られてしまうことでしょう。

割れた液晶。

スマートフォンを落として液晶画面を割ってしまった。
そのひび割れはとてもきれいな線を描いている。

自分で落としたにもかかわらず、その線にはまったく自我が入っていない。
割れてしまってはいるがスマートフォンとしての機能は問題なく果たしている。

機能をデザインが少しだけこえる時、それはすごくおもしろいものになる。
そういうデザインを見るとすごく幸せな気分になるし、自分もそういうものを作りたいと思う。

どっちにいく?

今年もあと残り少なくなってきたので、「これから」のことをいろいろと考えています。

はたらきかた。

デザインのこと。

これからのつくりかた。

 

分かれ道の真ん中でどっちに行こうか考えてるような、落とした斧は何色か聞かれているような気持ちでいろいろ考えてみました。

「寝る間も惜しんで仕事して、お客様のニーズに応えすぎてお安く、そこそこのクオリティのものをタイトな時間でつくる」

と、いうことには未来を感じないな〜と思いました。

 

もちろん、それが得意な人もいるし、必要としている人はいると思います。

わたしたちの場合、そっちに行ってしまうと目指してるところにたどり着けない気がしました。

 

豊かな土壌で美味しい野菜が育つように、こころが豊かでいることで、いいデザインや、いいアイデアが浮かんでくるものです。

余裕がないと、ギズギスしてイライラした気持ちになってしまいがちです。

これから「事業を発展させていこう!」と、キラキラ輝いてるお客さまの大事なツールをそんな気持ちでデザインするのは、なんだか矛盾しているし、お客さまに失礼です。

いいコミュニケーションをして、未来が広がっていくようなデザインをお客さまにお渡ししたいです。

なぜだか伝わってしまう目に見えない部分を大切にして、わたしたち自身をアップデートをしながら、「これから」をつくっていきたいなと思っています。

そのために、お客さまのデザインだけじゃなくって、発表したり発信したりする機会を定期的に持つことも続けていきたいと思っています。クリエイティブに磨きをかけます。

 

と、いうことで来週10/19から「あつぎロードギャラリー」で、個展をします。

個展公式サイトをつくりました。こちらも楽しんでいただけると嬉しいです。
世界のあつお展〜公式と非公式のあいだ〜

eye-sekai

 

なぜ漫画を理解できるのか?

なぜ私たちは漫画を理解できるのでしょうか?

こちらを見てください。
 
manga
なんとなく何がおこっているのか理解できませんか?

これは私たちが吹き出しやコマ割り、集中線にどんな意味があるかという漫画の記号をわかっているからです。

私たちはひらがなを理解することができます、それは国語の授業で習ったからです。では漫画の記号はどこで誰にならったのでしょうか?

漫画の読解力はどこでならったわけでもなく、漫画を読むことによって自然と身についているわけです。これはわざわざ勉強せずともグラフィックの文法を身につけていると言い換えてもよいでしょう。

「漫画ばっかり読んでないで勉強しなさい!」という表現はいささか古いものだよな、と。漫画はグラフィック的には宝の山で、それを感覚的に身につけることのできる素晴らしいものなのですから。