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世界はゆっくり変わってゆく

私が小学生の頃、給食で好き嫌いは認められていませんでした。なので苦手なものが出た時、給食の時間が終わっても残って食べさせられました。クラスのみんなが休み時間で遊んでいる間も食べ続けなければいけませんでした。

苦手なものを無理やり食べなければいけないので、僕は吐いてしまいました。そしてその吐いたものを自分で片付けさせられました。泣きながら雑巾で拭いたのを今でもおぼえています。

今では「虐待だ」と言ってくれる人もいそうな話です。でもあの頃、僕は好き嫌いをする自分が悪いのだと思っていました。

時が経ち、今は無理に給食を食べさせられることはないことを聞いて「ああ、よかった、あれはやっぱりおかしかったんだ」とわかりました。

大人だからといって、みんながそうだからといって、それが正しいとはかぎりません。でも大人が力を使って要求すれば、子どもは従うしかないのです。

誰かの言うことや、何かがおかしいと思ったら、「そんなのはおかしい」という気持ちを大切にしてほしい。たとえ自分の周りに賛同してくれる人が一人もいなくても、あなたがあなたを信じてあげることをやめないでほしい。

もし普通やあたり前という衣をまとって向かって来る人がいても、気にすることなんてない。そういう人たちは、普通がなければ何もできない、弱い人たちなのだから。

あなたがのみ込まれないことで、救われる人がどこかにいるのを忘れないでほしい。

ワークショップ:こころの

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好きなことをする

デザイナーとして働いていると、「毎日好きなことができて楽しそう」と言われます。

でも実際は、自由に好きなことばかりしているわけではありません。

「好きなことをしていていいですね」や「自由でいいですね」という言葉の裏側には、「私は好きなことができていない」「私には自由がない」という無意識のメッセージが隠れているのではないでしょうか。

「自由になりたい」「好きなことをしたい」と思っても、行動につなげられない人は、、生活の安定を優先するあまり、挑戦することへの不安が大きくなっているかもしれません。

しかし、自由や好きなことは、必ずしも大きな変化を必要としません。「こころのせかい めいし」ワークショップは、自分の良さを見つける場所です。まだ気づいていない自分の良いところがたくさんあり、自由へのきっかけになるはずです。

ワークショップ:こころの

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忘れてしまう

SNSでフォロワーをお金で買う投稿を見かけた時に、強烈な嫌悪感がこみ上げてきた。しかし、ふと昔の自分を思い出す。「プレゼントに応募するにはフォローしてください」と謳ったキャンペーンを、自分も行っていたのだ。

人は過去を、都合よく忘れ去ろうとする生き物だ。どれだけ巧妙に隠し通したつもりでも、他人を欺けたとしても、自分の心は決してごまかせない。結局、嫌悪感は他者ではなく、自分自身に向けられていたものだった。

私たちは、時に自分の行動を正当化するために過去を忘れようとする。しかし、忘却の代償は大きい。過去に目を背ければ背けるほど、その影は私たちの中で大きくなり、知らぬ間に今の自分を苦しめる。

10年前、あのキャンペーンを行った時、私はその行為に疑問を抱かなかった。むしろ、効率的なマーケティングだと思っていた。だが、今こうして自分が感じる嫌悪感は、当時の私が気づけなかったものを浮き彫りにする。それは、自分の成長の証でもある。

結局、過去を否定することはできないが、そこから学ぶことはできる。過去の私の行動が、今の私に良心を呼び起こし、新しい価値観を与えている。自分の過ちに気づいたとき、私たちはその瞬間から変わり始める。

そして、その気づきこそが、次の一歩を踏み出す力になるのだろう。過去に後ろめたさを抱えていても、その経験を持って、より誠実な選択をしていくこと。それが、未来への贈り物になるのかもしれない。

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うまいへた


こんにちは、松村です。今年最後の青空おやつを開催しました。

先月も来てくれた子が、友だちを連れて来てくれました。友だちは「絵は得意じゃないし」と乗り気でなかったのですが、「ウチもそう思ってたけど、そーゆーの関係ないんだって」と連れてきた子が言ったので参加してくれました。

先月、この子は「絵が上手くないから」と参加を迷っていたので、「絵にうまい下手なんてないんだよ」と伝えました。それをおぼえていてくれて、今回は友だちにも伝えてくれたのです。

うまい下手や、白黒では割りきれない、そんな気持ちをこれからも大切に。青空おやつをやっていてよかったと思いました。

おやつはシガールをまほうのステッキに見立てました。「もしも魔法のステッキがあったら何する?」をお題に描いてもらいました。

先月、手伝いに来てくれた中学生が友だちを連れてまた手伝ってくれました。空き時間に配信のことなど教えてもらいました。これもまた、やっていてよかったなと思うことです。

途中、近くで暇そうにたむろしている、やんちゃそうな高校生くらいの子たちが、何をしているのか尋ねてきました。青空おやつの仕組みを説明すると、「絵が売れるんすか?」と、3回聞かれました。少し信じられないという顔をしていましたが、心の奥では信じてくれたように感じました。

おやつのたねにご協力いただける方、募集しています。

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青空おやつについて

なんだかわからないもの

こんにちは、松村です。10月24日に青空おやつを開催しました。その際のレポートは鈴木がこちらでしています。今回、僕が感じたことです。

僕は子どもたちが描いているものが、何かわからないものだった時に「これはなーに?」と聞かないようにしています。言葉にならないものを描いていた時に、それを言葉で説明させることは野暮な気がするからです。

以前、こんな話を聞いたことがあります。保育園で子どもたちが描いた親の絵が、壁に張り出されたことがあったそうです。その中に、目が三つある人の絵がありました。その絵を描いた子の親御さんは「うちの子だけちゃんと描けていない」と心配になったそうです。

しかし僕からすれば「その子だけに見えているものがある」という羨ましさがあります。

「なんだかわからないもの」をそのままにしておくことで、想像のタネが育つことがあります。そして私たちは、想像の自由さを子どもたちから学んでいます。「なんだかわからないもの」が受け入れられるかどうかは、社会が寛容かどうかに関係していると思います。そして僕は青空おやつで、やさしい社会を目指しています。

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青空おやつについて

➡ 開催日に受付をしてくださるかたを募集しています。ご興味ある方はご連絡ください。info@tirami-su.com 046-281-7352

9月21日の気づき

9月21日に2回目の青空おやつを開催しました。


この日はタウンニュースさん、あゆチャンネルさんに取材に来ていただきました。荻野運動公園の所長さんも見学に来ていただき、みなさんから「面白い試みですね」と言っていただけました。

僕は子どもたちが描くのを黙って見ています。無理にほめたりしません。大人になったらお世辞が通用することがありますが、お世辞は感覚が鈍くなってしまった大人だから通用するのであって、感覚が鋭敏な子どもに通用することではないと思っています。無理にほめないとは言っても、子どもの描く線はとても気持ちいいものなので、「いい!」と言いたくなる所はたくさんあります。

僕はこんな感じですが、保育士の資格を持っている鈴木はまた違ったものだと思います。学校には学校の、家には家の、やり方があると思います。世界には同じものに対しても異なるやり方があって、それが社会を豊かにしていくのだと思っています。


青空おやつをはじめて、「リスクはどこまで取ればいいか」ということを考えさせられました。おやつをラムネにしたのは配ったお菓子で問題が起こるリスクを考慮してということもあります。そして一人で取れるリスクというのは知れているので、リスクを社会で引き受ける土台があるのがよいなと思うようになりました。今は問題が起こると結果だけを切り取って、非難してストレスを解消するみたいな所があると思うんです。問題が起こった時に皆で原因を探って今後起こらないようにする社会に自分はしたいなと思っています。

今回、参加者が途切れなかったため、二人でこなすには忙しく、受付の人がいると良いなという話になりました。やりたいという人がいましたらご連絡ください。おやつのたねにご協力してくださる方も募集しております。

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青空おやつについて

大きな車

先日、事務所の1階にある飲食店の前に、大きな外車が停めてありました。ヒップホップのPVにでも出て来そうな立派な車。店の隣には駐車場があるのだけれど大きすぎて入りきらないのでしょうか、車は店の前に停められ、中では10人ほどの集団が楽しそうにパーティーをしているのがガラス越しに見えました。

僕が自転車にまたがりながら、その大きな車を見ていると、店の隣の駐車場から、見るからに屈強な若い男がこちらを見ているのに気がつきました。

男は黒い車のボンネットにもたれながら、スマホを片手に不機嫌そうな顔でこちらを見ています。

僕はそのまま男の横を自転車で通りすぎ、5メートルほど進んで振り返って見ると、男は視線をスマホに戻し、つまらなそうにいじっていました。

おそらく、あの男は、店の前に停めてある大きな車を見張るためだけにいたのだと思います。

店の中で楽しんでいる人たちは、一人だけ外でつまらなそうにしている人がいるのに、それを良しとしているのでしょうか。

立派な車も、乗る人に心がなければ、ただの鉄の塊になってしまいます。

「こころのせかいめいし」のワークショップでは、名刺制作を通して物に心が入る体験をしていただきます。こころを置いてきぼりにしてはいけないのです。

ワークショップ:こころの

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チャレンジする

先日、若いイラストレーターさんが「イラストを見て欲しい」と来てくれました。

色々な話をした後、「このような時期に来てしまってよかったのでしょうか」と尋ねられました。

僕は「来てくれてすごくうれしい」と伝えました。

コロナウイルスのせいで行動に制限が必要になってしまいました。

未知と遭遇した時、何が正解かは誰にも分かりません。しかしそんな時でも自分で考え、責任を持って行動できる人は勇気があると思います。

正解が出るまで待っていて、答えを見てから「ほれ見たことか」と後出しするのは簡単です。だから簡単ではない道を選んで行動している人にはとても勇気付けられます。

僕はデザインを出すときは毎回、何かチャレンジをします。チャレンジって失敗ばかりだし、怖いけれど、しないとどんどん自分が死んでいくのがわかります。

藻掻いて、たまにしか報われないけれど、そのたまにが忘れられなくて、またチャレンジの繰り返し。

まあ、でも、そりゃ、たのしいですね。

じぶんとくらべる

すごい才能を前にすると「まるで自分などいても意味がないのではないか」と思ってしまうことがあります。

人と比べなければ世界の広さを知ることはできませんが、それでいつも落ちこんでいては生活に支障が出てしまいます。

そんな時は、人と比べるのではなくて、自分と比べてみます。昨日の自分と比べて今日の自分が少しでもマシになっていれば、自分をほめてあげれるのです。

ワークショップでは名刺をつくる過程で、自分で自分をほめるコツなども体験していただきます。

あなたのご参加お待ちしております。

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仕事ってなんだろう

僕は「仕事ってなんだろう」と考えたときに「人の役にたつ」ことだと思っています。仕事をお金になるか、ならないかを基準に考えると、仕事がとてもつまらなくなってしまうからです。

ワークショップをしていると、これからやりたいことや、今やっていることが「お金にならないので仕事と呼べるようなものではないのですが」と言う方がいらっしゃいます。しかし、お金にならなくても仕事と呼べるものはたくさんあると思います。

今自分のやっていることが「お金になるか」と考えるよりも「誰かの役に立つか」と考えた方がきっと長続きします。定年後に仕事がなくなり、社会と接点を失った年配の方を見て、仕事の定義を見直したいと思うようになりました。

ワークショップでは名刺を作りながら、あなた自身を紐解き、ひかりを見つけ、背中を押したいと思います。

ワークショップ:こころの

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